H2ロケット開発者の訪問

那須にH2ロケットの開発に携わった科学者が来ました。
いろいろと楽しいお話を伺っているときに、世界の一流といわれる科学者の子ども時代の話になりました。
アンケートをとって、子どもの頃、どんなくらしをしてきたのかを質問したのだそうです。
その結果、一流の科学者の育った環境として、三つの共通点が見つかったというのです。

    1.豊かな自然環境の中で暮らした。
    2.自分が関心を持ったものに対して、とことん追求することができた。
    3.信頼できる大人が最低一人は必ず存在していた。

それを聞いて、私はなるほどと思いました。そして、当然だとも思いました。
しかし、どうでしょう?
果たして、今の学校教育の中に、この3つの重大な要素が満たされているのでしょうか?
たとえ、田舎の自然環境あふれる学校の中でも、本当の自然体験ができているのでしょうか?
農家の子どもが、農家のことが知らないというのです。
一番忙しく、たいへんなとき、農家の子どもは親の仕事を見る機会が奪われ、学校で時を過ごしています。

  

もうひとつ、加えたい

さらに、私はもうひとつ、加えなければならないと、思っています。
子どもたちは、すでに自分が何であるかを知っているのではないかと、子どもと向き合いながら、常にそれを感じさせられるのです。
我が家には5人の子どもがおりますが、ひとりひとり、みんな個性が違います。
そして、それぞれが得意とすることや、不得意なところが違っています。
視点を未来から、現在へと向けてみてください。
子どもが将来なっている姿が見えます。
そして、その姿を通して、その子の過去へ、つまり現在に目を向けてみると、
「なるほど、君はこう育つ素質を持っていたのだね。」
そう云える場面が、子ども時代にはっきりと現れていることに気づくでしょう。
子どもたちに限らず、私たち大人も、自分が担っている人生や運命、そして役割というのものが、あるのだと思います。
問題は、そうした「本来の自分」があるにもかかわらず、その「本来の自分」が発揮できる生き方にたどり着いていないか、または、その道でない、別な道に違和感を抱えながら生かされているということです。
それは言葉を替えれば「才能」といえるのですが、せっかくの「才能」が競争や集団生活の犠牲になり、芽が出せないというのは問題ではないかと思うのです。

そこで、もうひとつ、次の原則を付け加えたいと考えています。

    4.子どもの魂の要求がじゃまされない

  

個が育つ環境を与えられていない

海外から日本に戻らなくてはならないため、那須を選んだ方がいます。
お子さんの学校を那須の「大沢小学校」と選びました。 なぜなら、そこは少人数で、人数が少なすぎて複式クラスとなっていたからです。
一方、少子化のために学校の廃校を余儀なくされる地域で、意見募集がありましたが、大方の意見は、少人数の学校では、競争力が育たないので、廃校し、他の学校に統合されるのはやむをえないというものでした。
ここに、教育に関してのとらえ方の違いが、対照的にあらわされています。
一方では、あえて複式クラスを選び、個性的に活きられる場を求め、一方では人数の多い学校を選び、競争にもまれることを求めるのです。
海外の教育と、日本の教育の基本的な考え方が、ここによく表されています。

競争という概念はすでに時代遅れになっています。
もはや私たちは競争に奔走しても、だれひとり生き残れない地球が生み出されるだけであることを理解しています。
他者を基準にし、他者と比べ、お金持ちか、幸福か、地位があるかを問うような、そうした価値観ではもはや誰も賛同もしないし、社会も豊かになれないし、弱者が生存できないことも知っています。
そして、何よりも、今後食料とエネルギーがターニングポイントを迎えた地球環境の中に、これまでの価値観とはまったく別な価値観を生み出さなければ、共存と共栄が難しいことを知っています。
そうした国際的視野、全地球的な視野の中で、子どもたちに何を伝え、何を得て欲しいのか、現在の日本の公教育はどう考えているのでしょうか?
都会も田舎も変わらずに均質や平等が子どもたちに与えられるとき、見ているのは子どもではなく、国家のように思えるのです。